セカイ系について書いたら、日常系についても少し書いてみたくなりました。
いまさらセカイ系を考える 其の一いまさらセカイ系を考える 其の二◆何が日常系か?(日常系とは何か?というよりも…)
日常系についても、セカイ系と同じ捉え方ができると思っています。
つまり日常系的だとされている要素を多く含んでいるものが日常系ということです。
網羅的でもなければ、整理された形でもありませんが、日常系的と見做される要素をリストアップしてみましょう。
・主要登場人物には「萌え」少女キャラクターが複数(3人以上)配置される
・舞台は現代日本で非日常的な事件は起こらず、主要登場人物の生活空間の外の社会が描かれることも、物語に関与してくることもない
・困難を乗り越えてキャラクターが本質的に成長ないし変化することはない(成長エピソードが含まれていたとしても切実なものではなく、予定調和的な「小さな成長」に留まる)
・恋愛が正面から描かれることはなく、男性キャラクターが登場しても恋愛関係にまでは至らない
・少女間の淡い同性愛的関係性(いわゆる「百合」)が描かれる
・コメディー的である
・4コマ漫画が原作でアニメ化された
セカイ系と対照的とされることもありますが、重なる要素も少なくありません。
実際、日常系とセカイ系の中間的な作品、あるいは両方の特徴を持った作品があることは既によく指摘されていますし、ドラマティックな展開を持ちながら同時に日常系的でもある作品も少なからず作られています。
◆萌え四コマ漫画と日常系
日常系作品の持つ特徴は、4コマ漫画に多く由来していると思われます。
とりわけ、あずまきよひこの「あずまんが大王」(1999-2002)と、その影響を受けた萌え四コマ漫画によって日常系作品は広がっていきました。
「日常のちょっとしたやり取りを描く」「ドラマティックな物語の展開はない」「登場人物の内面や関係性はあまり変化したり成長したりしない」「コメディーである」といった日常系の要素は、古典的な四コマ漫画にありがちな特徴でした。例えば「サザエさん」などの新聞漫画を思い出してもらえばよいかと思います。それが萌え四コマにも引き継がれた、あるいは萌えと組み合わせられることで再発見されたと言えないでしょうか。
もともと四コマ漫画は、ドラマティックな物語や時間とともに成長する登場人物を持たず、他方で「起承転結」の型を持つものでした。
そうした古典的な四コマ漫画が描かれ続ける一方で、新しい試みもなされるようになります。例えば、四コマ単位のエピソードを連ねながら物語を語っていくストーリー四コマ、あるいは起承転結の型を持たない四コマ漫画などです。
伊藤剛は『テヅカ・イズ・デッド』で、いがらしみきおの「ぼのぼの」(1986-)を取り上げて、キャラが物語から遊離する「キャラの自律化」をそこに認めて、日本のマンガの一つの画期と評価しています(第2章)。
「ぼのぼの」には、連載開始時から起承転結もなければ、ドラマもない。
四コマの連なりによるゆるやかに連続したエピソードは、はじめ人生訓的な寓話を語っていたのですが、やがてそれもなくなり、キャラたちが戯れているさまの叙述が繰り返されるようになります。
伊藤剛は「はっきり無時間的な空間」とそれを表現し、「『物語』のもたらす快楽から、キャラたちの戯れるさまを眺め、寄り添うことの快楽へのシフト」と述べています。
ここに、萌え四コマや日常系の作品へと続く傾向を読み取ることができます。
「ぼのぼの」には所謂「萌えキャラ」こそ登場しませんが、動物キャラクターの可愛さというのは萌えキャラに通じるものがあります。
「あずまんが大王」には、四コマ漫画に萌えキャラが投入されている点で目を惹きますが、それ以外にも着目すべきところがあります。
「あずまんが大王」では、作品の中で連載の経過と歩調を合わせて時間が経過していき、3年で登場人物たちは高校を卒業して、作品は完結しました。
つまり「ぼのぼの」の「無時間的な空間」とは異なる時間が「あずまんが大王」には流れているのです。もちろん起承転結型の四コマ漫画の無時間性とは違いますし、葛藤の解消と成長式のドラマ的時間とも異なります。
特別な物語などなくとも時間は流れていき、モラトリアム的な、何も劇的なもののない日常にも必然的にある種の終わりが訪れる、というある意味でとてもリアルな時間です。
これらの作品の影響は「萌え四コマ」という言葉で捉えられましたが、四コマ漫画への萌えキャラの投入という側面が強く意識される一方で、四コマ漫画の表現を拡張する過去の作品の積み重ねの上に現れたという側面はあまり意識されなかったかもしれません。
さらに、萌え四コマ作品がアニメ化されて好評を博し、「日常系」「空気系」といった言葉が生まれました。そして「日常系」の作品は、アニメ、ライトノベル、非四コマ漫画(自由コマ割漫画?)などにも広がりました。
「日常系」の作品には、「ぼのぼの」のように無時間的な空間を持つものもあれば、「あずまんが大王」のような時間の流れを持つものもあります。
日常系の要素を持ちながらも、劇的なストーリーと劇的な時間を持つものもあります。このような日常系の境界の曖昧さについては、先に述べたとおりです。