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「となりのトトロ」を観なおしてみた

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「となりのトトロ」を観なおしてみた

「けものフレンズ」を観たら、何となく「となりのトトロ」に構成が似ている気がしてまた観なおしてみました。

「けものフレンズ」の構成などを考えてみる

一番小さいトトロとラッキービーストは似てますね。小さいトトロはラッキービーストと同じで手が無いデザインなんですが、木の上でオカリナを吹いている場面では手が生えているんですね。手を出したり引っ込めたりできるのかも。やっぱり手が無いと演技させにくいのかな。かわいいけど。

まあ、それはともかく。


今まで「トトロ」にはドラマがないと何となく思っていたのですが、観なおしてみてちょっと考えを改めました。
「トトロ」はドラマの類型で言えば、「人生の岐路」と呼ばれるパターンの物語だと思います。

このパターンの物語はふつう大人が主人公で、もう自分には昔のような肉体的力はなく、かつての夢にはもう手が届かないし、老いやその先の死も見えてくる等の現実に直面し、すったもんだの末に人生にはただ受け入れるしかない事柄もあるのだと悟ることで収まる話です。
こういうタイプの物語は子供を主人公にしてはできないように思いがちですが、この映画を観ていると、子供だって色々なことを諦めながら人生というものを受け入れる努力をしているのだということを思い出させられます。

「トトロ」で幼い姉妹が受け入れなければいけないことは「母親との死別の可能性」です。母親の病気に対して子供たちはどうすることもできません。これはサツキとメイの成長譚であるとも言えますが、何かを成し遂げるとか、何かができるようになるとか、そういう話ではありません。
ただし受け入れなければいけないのは「母親との死別」そのものではないので、観客は過酷な印象を受けず、むしろ楽しく映画を観られます。
「死別」そのものより「死別の可能性」の方が"小さなこと"ですが、その"小さなこと"をすくい上げて題材にし、丁寧に描き出したことが「トトロ」を名作にしました。
"大きなこと"の方が"小さなこと"よりも描くべき価値があるというのは間違っています。

明るく生活しながらも、心の隅に小さな不安を抱えている小さな姉妹の前に不思議な存在が姿を見せます。
ススワタリやトトロたちは初めはちょっと怖い雰囲気を伴って現れます。しかも姿を現すのは子供たちだけのときで、少々ホラー映画的です。しかしサツキとメイはトトロたちが恐ろしい存在ではないことにじきに気が付きます。

この点が作品のテーマと呼応しています。
ちょっと恐ろしげに思えたトトロたちが実は恐れるべきものではないと受け入れることで、母親の病気という現実を受け入れる準備ができます。
サツキたちの母親は快方に向かったように描かれていますから、一見、それで問題が解決したように見えますが、根底にあるのは小さい子供なら誰でも心に秘めている「いつか母親がいなくなってしまうかもしれない」という恐怖であり、これは受け入れるしかないものです。

それではトトロたちは死を体現する存在なのでしょうか。その点を強調すれば「本当は怖い…」といった話にもなります。
確かにトトロたちは異界の存在であり、死とつながるイメージを帯びているとは言えるでしょう。しかし死そのものを象徴しているというのは言いすぎです。
ドングリが巨木に育つ場面からいっても、生と死の両方を含む自然を体現する存在と解釈しておくのが妥当なところでしょう。
ただ、のちのシシ神のように明白な形ではないにしろ、微かに死の匂いは感じます。


トトロたちの描き方について。
隣家のお婆さんがススワタリに言及するところで、不思議な存在がまずは大人の視点から土俗的なものとして位置づけられます。
サツキとメイの父親は妖怪のようなものですか、と尋ねますが、そんなものではないと老婆にやんわりと否定されます。父親は大学に勤める研究者であるらしく、知識人です。ここでススワタリやトトロのような不思議な存在を「妖怪」という概念でくくってしまうことが拒絶されています。

二人の父親は"理解のある大人"であり、メイやサツキの言うことを否定しませんが、あくまで大人の視点で物事を捉えています。メイが見たというトトロを「森の主」と呼び、大きな楠の前で神前でのように手を合わせる仕草をしてみせるのは、やはり大人の世界観による大人の行動です。
父親の言うことは、メイたちの体験の実感からはズレています。
ここで物分りのいい父親を描きながらも、子供の世界と大人の世界のズレをきちんと描いているのは上手いところです。

また、お婆さんがいうススワタリを、サツキとメイはまっくろくろすけと呼びます。
お婆さんの言葉に含まれる伝統的土俗的な世界も、姉妹の体験する世界とはちょっとズレているのです。トトロは洋傘を喜んでさしますし、ネコバスは昔はいなかったでしょう。
もし、お婆さんの言葉とトトロたちの存在が完全に一致してしまったら、その不思議さはだいぶ薄れてしまいます。「それは〜という妖怪だよ」という大人による説明で回収されてしまうと、随分つまらなくなります。
そこを少しずらすことで、子どもたちの体験特有の感じが出せています。
子供の頃を思い出してみれば誰でも、自分たちの世界や体験と、大人たちがそれに与える説明や解釈がズレていたという実感があるのではないでしょうか。「トトロ」はその感触も思い出させてくれます。




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