庵野秀明監督の新作「シン・ゴジラ」の感想を書こう、書こうと思って書けないうちに一月も経ってしまいました。
いざ書いてみようとすると、個別の作品について語るための準備が自分にはだいぶ欠けていたことがわかったのですが、断片的にでも書いてみることにします。
スポイラーありですが、もういいですよね。
映画の序盤、突如として現れた謎の巨大生物に対して、日本政府の対応が遅れる、というより、具体的な対応に移る前に無数の会議を儀式の手順を踏むように重ねていく様子が、コミカルに描かれます。
この部分を現実の政治への風刺と捉える人も居れば、現実に怪獣が現れたらそうなるというシミュレーションに過ぎないとする人も居るようですが、演出上の機能を考えると別の見方もできます。
作品の中で常識を覆すような出来事があれば、それに驚く登場人物の描写を入れておかなければなりません。驚くべきことが起こっているのに、作中の人物たちが平然と受け入れているように見えてしまうと、白けるし不自然にも感じます。
一方で、観客自身は映画は作り物と承知していますし、怪獣が出てこようが、幽霊が出てこようが、想定の範囲内であって大して驚くことはありません。
そのため登場人物の「びっくり反応」は、観客には退屈に感じられがちなわけです。もう飽きていると言ってもいいでしょう。
せっかく凄い映像を用意しても、それに驚く人間のリアクションが陳腐だと観客はちょっと冷めてしまうんですよね。
「シン・ゴジラ」では政治家や官僚たちが主役ですが、序盤の政府の対応のモタつきが一種の「びっくり反応」として機能しているのは上手だなと感じました。
主役級の登場人物が驚いてみせることの退屈さをすっ飛ばしつつも、映画の中の世界で異常な事態が起こっていることをスマートかつユーモラスに見せている。
SF作品などでは「びっくり反応」にどんな工夫をしているか(していないか)も見どころの一つでしょう。
いまさらセカイ系を考える 其の二