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「ガルパン」を題材にアニメの構成を考えてみる その二

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「ガルパン」を題材にアニメの構成を考えてみる その二

「ガルパン」を題材にアニメのドラマ構成を考えてみる その一

の続きです。
「ガールズ&パンツァー」テレビシリーズのスポイラーを含みます。


第一幕
第1話が第一幕に当たります。
ロボットアニメでは初回で主人公をロボットに乗せなければいけない、なんて話を聞いたことがありますが、第1話でセットアップを済ませて最初の転換点(ターニングポイント)まで描いてしまうのがTVアニメでは効果的なようです。
全体の尺から言うと短いようですが、二十数分あれば映画の第一幕とあまり変わりません。アニメの第1話は映画並みにテンポよくタイトな構成が求められます。

冒頭、時系列を先取りして聖グロリアーナ戦から始めて、可愛い女の子が派手な戦車戦をするアニメですよ、というある意味で一番重要(?)な情報を視聴者に示します。

続いてが本当の導入で、主人公の西住みほが新しい街、新しい学校に来たばかりであること(ニューアライバル)がわかります。
主要登場人物と、戦車道という奇妙な設定を含む世界が紹介され、みほは生徒会から戦車道を行うよう迫られます。みほは過去の経緯から戦車道を避けているようですが、新しくできた友人を庇うために生徒会の要求を呑みます。ここが最初の転換点(ターニングポイント)です。
主人公のドラマ上の主張は「仲間を守りたい」です。
第一幕の時点ではまだ主人公とその主張は最後まで貫きとおせる強さを持ちませんが、第二幕の試練によって鍛え上げられ、第三幕に結実します。

なお、みほは戦車道を嫌がっている設定ですが、主人公は嫌なことをせざるを得ない状況に置かれるか、逆にやりたいことを思うようにできない状況に置かれるのが定跡ですね。

第1話の締めくくりは巨大な学園艦の全貌を見せることで、作品の世界観、リアリティの水準を見せています。現実味よりも娯楽としての楽しさを優先していることが視聴者に伝わります。

また、第1話ではエンディング・アニメーションが省かれ、代わりにオープニング・アニメーションが最後に回されています。
セットアップを1話で済ませなければならないため、尺が不足するのが理由の一つでしょう。
また、オープニング・アニメーションにはセットアップの機能(主要登場人物、世界観の紹介など)が含まれているため、情報の提示をコントロールするため後に回されたり、省かれたりすることはよくありますね。


第二幕・前半
第2話から、第二幕に相当する部分が始まります。
第二幕の前半は、主人公は概ね順調に障害を突破して物語を進展させていくパートです。そして、TVアニメではこのパートを引き延ばすのが一般的な構成のようです。
「ガルパン」では戦車道の試合が繰り返されますが、それぞれの試合が簡略ながらドラマとしての構成を持っています。
物語全体の中に入れ子のように小さなドラマ構造をはめ込むことは、最後まで視聴者を退屈させずに惹きつけておくためにとても有効な方法です。
一回の放送分=一つのドラマという構成もよく使われますが、「ガルパン」では回をまたぐようにドラマ上の区切りをつけることで、翌週への「引き」を強めるように作られています。

また第二幕前半を使って、主人公以外のキャラクターのサブプロットも描かれます。
視聴者を惹きつける上で、サブキャラクターの魅力を利用するのもアニメの常套手段でしょう。「ガルパン」ではサブキャラクターのサブプロットはシンプルなものですが、数多い登場人物たちが「その他大勢」になってしまわないよう配慮してあります。

そして第7話では、主人公みほの過去が語られ、彼女が戦車道を忌避してきた理由が明かされます。
みほは以前に、試合中に水中に落ちた仲間を助けることを、大会で優勝より優先するという決断をしました。ここでも「仲間>勝利」という主人公の主張が現れていますが、あくまで勝利を強調する母親の主張と対立し、戦車道自体を忌避するに至りました。
こうして過去が語られた後、みほは大洗女子学園の仲間たちと一緒にしてきた戦車道は楽しかったことを自覚しますが、これは第二幕後半に訪れる危機との落差を生むための前振りです。


第二幕・後半
第8話Bパートに中間点(ミッドポイント)があり、それ以降は主人公が追い詰められる第二幕後半です。
一般的に、第8話付近に中間点を置くのが1クールアニメの黄金比ではないでしょうか。映画とは異なり、ちょうど真ん中にはありません。

プラウダ高校戦で、みほは仲間たちの意見に押されて、内心危ないと感じながらも軽率な作戦を採用してしまい、みすみすプラウダ校の罠に嵌って苦境に陥ります。
ここでの失敗は主人公の「仲間>勝利」の価値観が裏目に出ています。

さらに大洗女子学園は、この大会で優勝できなければ廃校になるという事実が明らかになり、主人公の危機は最大になります。

第9話Aパートで、みほが仲間たちを鼓舞するためにあんこう踊りを踊ることで、物語は第二の転換点を迎えます。
主人公を捕らえていた「仲間か勝利か」という偽りの二者択一が解消し、「仲間を守りたい」という主張に光が当たります。みほは仲間との学園生活を守るため、積極的に戦車道での勝利を目指します。

TVアニメの第二幕の後半は、前半と比べてずいぶん短くなります。
映画では、いくら主人公の苦境が描かれても30分もすれば第三幕が始まり、観客のストレスはそこで解消します。
それに対して、TVアニメで何週間も主人公の苦境を引き延ばせば、視聴者に与えるストレスが大きくなりすぎます。いわゆる「鬱展開」が嫌われるということで、映画の構成をそのまま引き延ばして全体の四分の一を第二幕の後半とするわけにはいきません。
「ガルパン」では第8話後半から第9話前半まで、間に一週間空いているので十分な長さなのでしょう。


第三幕
主人公の決意によって物語は第三幕に進みます。
ここは生まれ変わった主人公が試練に打ち勝ち、その主張を貫くパートです。

映画では第三幕を短めにすることがありますが、「ガルパン」では第9話後半から第12話までとそれなりの長さがあります。
ドラマの構成として第三幕は1話分の尺があれば成り立つと思いますが、主人公たちの活躍を派手な戦車戦で見せるという作品の方向性から、第三幕を長めにとってあるのでしょう。
作品のジャンルによっては、サクッと話を畳んでしまった方がいい場合もあると思います。


まとめ
個人的な意見ですが、ドラマの構成論というのは大雑把には成り立つと思いますが、精密で絶対的な原理として成立するかという点には懐疑的です。
理論を精密化すればするほど、実際の作品を無理矢理、理論に押し込んで当てはめているのではないかという疑問が湧いてきてしまいます。
例えば、どこが物語の転換点や中間点になるのか、ここで述べたのとは別の解釈も可能かもしれませんが、大まかに構成を示せれば十分だと考えて書きました。

「ガルパン」の構成は、1クールアニメとしては王道と言っていいと思います。
よく似た構成のアニメは色々あると思いますし、これからも作られていくでしょう。

次に、少し変わった構成になっている「魔法少女まどか☆マギカ」について書いてみようと思います。

「まどマギ」を題材にアニメの構成を考えてみる

その後、「けものフレンズ」の構成についても書きました:

「けものフレンズ」の構成などを考えてみる


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