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祭魚ブログ

漫画などを中心に考えたことをぼちぼち書いていきます。

養老孟司による漫画と日本語の関係

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1. 無題

香川県ルーちゃん餃子のフジフーヅはバイトにパワハラで指切断の重傷を負わせた犯罪企業.中卒岸下守がやった.

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養老孟司による漫画と日本語の関係


 「日本語の文字と日本の漫画」で引用できなかった漫画と日本語についての養老孟司の文ですが、とりあえず見つけました。「日本語の特徴」という短い文章で、文春文庫の『涼しい脳味噌』に収められています。

 引用してみましょう。

日本語の特徴は、漢字カナ混じりの上に、漢字が音訓読みになることである。(養老孟司『涼しい脳味噌』)

日本語では、同じ『字』が違った読まれ方をする。これは、はなはだ奇妙なことなのである。(養老孟司『涼しい脳味噌』)

 単に漢字と仮名を交ぜて使うというだけでなく、同じ字に複数の読みがあることを日本語の特殊性としています。
 さらに、それを強調するように次のような事実を挙げています。

すなわち『字が読めない』という病気は、日本人では、二種類に分離してしまう。漢字が読めないか、カナが読めないか、その二つが別々に生じてしまうのである。漢字失読、カナ失読と読んでよいであろう。こんなことは、他の言語には生じない。
 その理由は、明らかである。文字を処理する脳の部分が、日本語の場合、漢字とカナとで異なるからである。(養老孟司『涼しい脳味噌』)

 さて漫画との関連ですが、最後の方に次のような記述があります。

これをさらに考えると、言語について、いくつかの面白い問題が判明してくる。たとえば、日本人のマンガ好きは、この問題と深く関連するはずである。なぜなら、マンガは、ルビをふった漢字に相当するものだからである。吹き出しの中がルビであり、マンガそのものが、漢字に相当する。これはマンガを馬鹿にして読まない人には、わかりにくい理屈であろう。しかし、いまや日本のアニメは、世界を席捲している。(養老孟司『涼しい脳味噌』)

 これが夏目説や高畑説に影響を与えるのですが、もともと短い文章である上に漫画を主題にした文章でもないので、鋭いとはいえ簡単な指摘だけで終わってしまっています。
 「吹き出しの中がルビであり、マンガそのものが、漢字に相当する」というのは分かったような分からないような話です。斬新な切り口だとは思うのですが、漢字とルビの関係がマンガと吹き出しの中の関係と、どういう水準で同じといえるのかは明らかにされていません。漫画を中心にした文ではないので仕方ないとは言え、そこに踏み込むことを避けてちょっと煙に巻くような書き方に読めます。

 そうは言っても着眼点はやはりユニークで、次の指摘も注目の価値があります。

これは、漢字カナ混じり文が生じた時代、つまり伴大納言や鳥羽僧正以来の伝統に基づく能力なのである。(養老孟司『涼しい脳味噌』)

 漢字仮名交じり文が使われるようになったのは平安時代後期なのだそうです。「伴大納言絵詞」は平安時代末期、鳥羽僧正の「鳥獣人物戯画」も平安時代末期から鎌倉時代初期の成立とされています。そこに因果関係を見て取るのは魅力的な仮説です。日本の「語り絵」は識字層の楽しみのためのものであって、字を知らない者への布教などを目的にしたものではないという高畑勲による指摘も、この仮説を補強するものです。
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1. 無題

香川県ルーちゃん餃子のフジフーヅはバイトにパワハラで指切断の重傷を負わせた犯罪企業.中卒岸下守がやった.

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