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    <title>祭魚ブログ</title>
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    <description>漫画などを中心に考えたことをぼちぼち書いていきます。</description>
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    <title>『マンガ視覚文化論』　夏目房之介「『表現論』から二十年」</title>
    <description> 

『マンガ視覚文化論』という本を入手したので少しずつ読んでいます。
とりあえず夏目房之介の「『表現論』から二十年」の感想を。

この論文で江戸時代(1779年)に刊行された『天狗通』という手品のハウツー本が引用されているのですが、そこにあるコマ割りされたマンガのような図が興味深い。
これは単に時...</description>
    <content:encoded><![CDATA[<a target="_blank" href="//sacrificingfish.mangalog.com/File/IMG_20170612_211731.jpg" title=""><img src="//sacrificingfish.mangalog.com/Img/1497444686/" alt="" /></a> <br />
<br />
『マンガ視覚文化論』という本を入手したので少しずつ読んでいます。<br />
とりあえず夏目房之介の「『表現論』から二十年」の感想を。<br />
<br />
この論文で江戸時代(1779年)に刊行された『天狗通』という手品のハウツー本が引用されているのですが、そこにあるコマ割りされたマンガのような図が興味深い。<br />
これは単に時系列順に「一枚絵」を並べただけのものとは違って、現代のマンガのコマに似た印象を与えるものになっています。<br />
しかし『天狗通』に見られるようなコマの表現は、当時は物語を語るために使われることはなかったそうです。<br />
<br />
山本陽子『絵巻の図像学』では、江戸時代の大衆娯楽の中でコマという手法があまり使われなかった理由として、コマ表現が子供や無学の者のためのものとして低く見られていたという理由が挙げられています。（コマを使った表現は、説話のような宗教性の強い題材に用いるものという観念もあったようです。）<br />
<br />
これを読んでいろいろ考えてみたのですが、『天狗通』で現代的とも言えるコマ表現が使われているのは、やはりその必要があったからなのでしょうね。<br />
つまり『天狗通』が読者に伝えなければいけない動作は、手品であるというその性質上、読者にとって見慣れないものであり、また想像もつきにくいものであるわけです。そのために図をコマで割って詳細に描く必要があり、結果としてまるで現代のマンガのようなコマ表現になってしまったのでしょう。<br />
<br />
「見巧者」がコマを必要としないのは、不足する情報を経験によって補って見ることができるからで、初めて見る(説明される)手品の動作にこれは通用しません。<br />
『天狗通』で描かれている、「見慣れない、未だ名付けられていない動作」への視線は、テプフェールの「無意味」への視線に、結果として似てしまったのではないでしょうか。<br />
<br />
天狗通的な（あるいはテプフェール的な）コマ表現は、動作や運動の「写生」を可能にします。<br />
譬喩的に言えば、旧来の方法では決められた「画題」としてしか動作や運動を描けないということです。<br />
それに対して、動作や運動をコマによって分節することで、その個別性を描くことができることになります。あるいは動作や運動の一回性を描けるとも言えるでしょう。<br />
<br />
個別的な運動を描けるということは、個別的な運動の主体である「個人」を描けるということにつながります。また個別的で一回性の運動の累積でしかないような、近代的な世界像を描けます(≒「無意味への視線」)。<br />
類型的な動作の組み合わせで出来ているのが前近代的な物語だとしたら、それを越えるような近代的な物語が可能になるわけです。<br />
<br />
江戸時代に現代のマンガのコマ表現に極めて近いものがありながら、それが物語表現に用いられることがなかったのは、個別的な動作や運動を描いて物語るという方法がまだ「発見」されていなかったということかもしれません。<br />
<br />
<br />
]]></content:encoded>
    <dc:subject>漫画批評</dc:subject>
    <dc:date>2017-06-14T21:49:53+09:00</dc:date>
    <dc:creator>OtterSF</dc:creator>
    <dc:publisher>NINJA BLOG</dc:publisher>
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    <title>士郎正宗『攻殻機動隊』</title>
    <description>1989年の作品なので、もう古い作品になってしまいましたね。
最近、ハリウッドでスカーレット・ヨハンソン主演で実写映画化されましたが、評判は今一つのようでまだ観てません。
アニメ版と対比してよく語られていますが、原作の漫画はあまり話題に挙がらないのが寂しいので、今更ですが少しこの作品について書いてみ...</description>
    <content:encoded><![CDATA[1989年の作品なので、もう古い作品になってしまいましたね。<br />
最近、ハリウッドでスカーレット・ヨハンソン主演で実写映画化されましたが、評判は今一つのようでまだ観てません。<br />
アニメ版と対比してよく語られていますが、原作の漫画はあまり話題に挙がらないのが寂しいので、今更ですが少しこの作品について書いてみることにしました。<br />
<br />
<br />
<strong>◆漫画版とアニメ版ではテーマが違う</strong><br />
原作漫画版の『攻殻機動隊』の特徴は、世界に明確な境界線などなく相対的であるということを前提としてる点です。<br />
「攻殻機動隊」とは、全身を機械化したり、精神をコンピュータ・ネットワークに接続したりすることが可能になった世界で、人間とは何か、人間と機械はどう違うのかを追求する哲学的テーマを持った作品であるとよく語られるのですが、それはアニメ版のことであって原作では違います。<br />
<br />
機械の体と人間の心との間で葛藤が起こるというのは、むしろサイボーグ(およびアンドロイド)作品では昔からあるテーマです。<br />
そういう作品では、サイボーグである＝特別な存在であるということで、人がサイボーグになるには絶対的な理由があります。例えば、大怪我をして治療の方法がサイボーグ化しかないとか、ある重大な目的を成し遂げるにはサイボーグになるしかないとか、悪の組織に捕まって無理やり改造されてしまうとか、そういうことです。<br />
<br />
『攻殻』の世界ではサイボーグ技術は一般化していて、サイボーグであることは特別な存在であることを意味しません。機械の身体を作中では「義体」と呼びますが、これは全身を機械に置き換えてしまうことも「義手」「義足」「義眼」などの延長と捉えることができるという主張を含んでいるのでしょう。（言うまでもなく、身体を機械化することで人間と機械の境界が曖昧になる、という観点の持つ問題点がそこで浮かび上がります。）<br />
主人公の草薙素子の義体は最先端の技術で作られた最高性能を持つものなので、特別なものではありますが、その特別さは相対的なものに留まります。<br />
<br />
<strong>◆攻殻機動隊で描かれるテクノロジー観の現代性</strong><br />
素子が全身義体化した個人的な理由は作中では語られていません。<br />
作中で語られる人が義体化する動機は、より便利(効率的)であるとか、より快適である(「電脳FUCK」なるものの描写がある)といったことで、いわば相対的な理由です。<br />
これはテクノロジーの広まり方の描き方として、まったく現代的です。<br />
<br />
メディア機器の普及ではゲームやポルノなどの果たす役割が無視できないと言われます。つまり現代のテクノロジーの広まりは、それによって得られる快楽と結びついているわけです。<br />
また、作中で義体化していないトグサに対して義体化のメリットが色々と語られる場面がありますが、あるテクノロジーを受け入れないと、そのテクノロジーの恩恵をすで受けている周囲の人間と比べて相対的に不利になってしまうという事態がそこにあります。これもテクノロジーの広がりを後押しする要因です。<br />
<br />
テクノロジーの広まりへの抵抗も描かれています。<br />
電脳医師に自分の脳を弄られたくないが、電脳化しないデメリットを埋めるために両手をサイボーグ化して高速でキーボードを叩く年配の人物が登場します。<br />
これが技術的にありうるかどうかと言うよりも、テクノロジーへの微妙な抵抗感という心理を描いていることがとても面白い。<br />
現実にも、PCが普及するとPC嫌い、携帯電話が普及すると携帯嫌い、スマホならスマホ嫌いが現れました。インターネットが一般化しはじめた時期には、Eメールで要件を済ませるなんてけしからんと言っていた人がいましたし、メールは使ってもツイッターは嫌い、LINEは嫌いという人も少なからずいます。<br />
新技術に対する微妙な抵抗感。<br />
良い悪いではなく人間とはそういうものなんですね。<br />
スマホ嫌いだけどPCのキーボードは高級品を使ってこだわるとか、それも人間の面白さです。<br />
<br />
我々はしばしばテクノロジーをなし崩しに受け入れ、後からそれによって自分たちが変わってしまったことを自覚します。<br />
<br />
素子が友人との雑談で、自分はもう死んでいて今の自分は作り物の人格なのではないかと思うことがある、と発言する場面があります。<br />
これは古典的なサイボーグ／アンドロイドのテーマで、『ブレードランナー』的なテーマと言ってもいいですが、これは作品全体の大きなテーマではありません。<br />
士郎正宗にとって、これは余談として語られる程度の小さな話題であって、フチコマにそれほど人間と区別がつかないならそれは人間なのだ、とコメントさせてあっさり終わりにしています。士郎正宗にとってはもう結論の出ている問題なのでしょう。<br />
おそらく人間と機械の境界線なんて無いし、無くても別に困らないというのが彼の世界観です。<br />
<br />
『攻殻』は『ブレードランナー』的と言うよりは、むしろ『ニューロマンサー』的と言うべきでしょう。<br />
ウィリアム・ギブソンの『ニューロマンサー』(原著1984年)では、ファッション感覚で身体改造をする人々(＝サイバーパンク)が登場します。サイボーグであることが葛藤を生むことではなくなった世界がすでに描かれています。加えて言えば、人形使いの正体が人工知能という設定も、ニューロマンサーに登場する人工知能を意識していると思われます。<br />
<br />
<strong>◆森羅万象にゴーストはある</strong><br />
欄外の余白に、士郎正宗は「僕はあらゆる森羅万象にゴーストはあると思っている。」とコメントしています。つまり原作の『攻殻』は、人間にはゴーストがあるけれど機械にはゴーストはない、というような世界観ではないのです。<br />
人間のゴーストと機械のゴーストとで違いはあるでしょうが、それは相対的な差に過ぎません。作中では人間より上位の存在も示唆され、それが天使のようなイメージで表象されています。<br />
小さなものはより大きな全体の一部であり、単純なものはより複雑な全体の一部であり、それぞれのレベルに応じたゴーストが存在する。これは士郎正宗が他の作品でも描いてきた、彼の哲学的宇宙観に裏打ちされています。<br />
<br />
士郎正宗作品の登場人物は、人間とは何か、自分は何者か、といった問題を抱えて自分の内面に沈潜することはありません。内面をいくらほじくり返しても、そこには答えはないと考えているからでしょう。彼にはその種の哲学はありません。<br />
彼が描くのは、組織(社会)と人間、テクノロジーと人間、宇宙と人間の関係です。その関係によって人間は規定され、その関係が変化すれば人間も変化します。そういう人間観を持っているのです。<br />
<br />
士郎正宗が描きたいと思っているのは、いつでも彼の宇宙観なのではないでしょうか。<br />
哲学の世界では、宇宙論というものを天文学や物理学にほとんど譲り渡してしまっているようにみえますが、士郎正宗は漫画という表現を使って哲学的宇宙論をやりたいようです。いうなれば、それが彼の哲学なのでしょう。<br />
<br />
<br />
<strong>◆最後に</strong><br />
個人的な感想としては、士郎正宗の宇宙論そのものにはあまり興味は持てません。正直に言って、独特の宇宙論が剥き出しの形で出てくる作品はいいと思えません。(あれが好きな人もいると思いますが。)<br />
しかし、その宇宙論を背景に生まれてくる作品世界には魅力を感じます。<br />
<br />
「攻殻機動隊」はこれまでに何度か映画化、TVアニメ化されています。そのすべてをしっかりと観ているわけではないのですが、原作のテーマを正面から描いたものはなかったようです。<br />
押井守監督は、特に『ブレードランナー』的(あるいはP.K.ディック的)要素を原作から拾い上げて映画を作りましたが、それは押井守の個人的な資質からそうなったわけです。<br />
<br />
それが間違っているというわけではなく、結局、誰でも自分のなかにあるテーマと響き合うものを創作しまうということなのでしょう。<br />
そして士郎正宗の宇宙論を正面から描きたいという監督はまずいないと思われます。<br />
<br />
しかし、原作『攻殻機動隊』にしかない魅力や、今も古びない要素があることは強調しておきます。<br />
<br />
]]></content:encoded>
    <dc:subject>漫画作品</dc:subject>
    <dc:date>2017-05-24T21:58:30+09:00</dc:date>
    <dc:creator>OtterSF</dc:creator>
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    <title>「となりのトトロ」を観なおしてみた</title>
    <description>「けものフレンズ」を観たら、何となく「となりのトトロ」に構成が似ている気がしてまた観なおしてみました。

「けものフレンズ」の構成などを考えてみる

一番小さいトトロとラッキービーストは似てますね。小さいトトロはラッキービーストと同じで手が無いデザインなんですが、木の上でオカリナを吹いている場面では...</description>
    <content:encoded><![CDATA[「けものフレンズ」を観たら、何となく「となりのトトロ」に構成が似ている気がしてまた観なおしてみました。<br />
<br />
<a href="http://sacrificingfish.mangalog.com/tv%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1/%E3%80%8C%E3%81%91%E3%82%82%E3%81%AE%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%80%8D%E3%81%AE%E6%A7%8B%E6%88%90%E3%81%AA%E3%81%A9%E3%82%92%E8%80%83%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%BF%E3%82%8B" title="">「けものフレンズ」の構成などを考えてみる</a><br />
<br />
一番小さいトトロとラッキービーストは似てますね。小さいトトロはラッキービーストと同じで手が無いデザインなんですが、木の上でオカリナを吹いている場面では手が生えているんですね。手を出したり引っ込めたりできるのかも。やっぱり手が無いと演技させにくいのかな。かわいいけど。<br />
<br />
まあ、それはともかく。<br />
<br />
<br />
今まで「トトロ」にはドラマがないと何となく思っていたのですが、観なおしてみてちょっと考えを改めました。<br />
「トトロ」はドラマの類型で言えば、「人生の岐路」と呼ばれるパターンの物語だと思います。<br />
<br />
このパターンの物語はふつう大人が主人公で、もう自分には昔のような肉体的力はなく、かつての夢にはもう手が届かないし、老いやその先の死も見えてくる等の現実に直面し、すったもんだの末に人生にはただ受け入れるしかない事柄もあるのだと悟ることで収まる話です。<br />
こういうタイプの物語は子供を主人公にしてはできないように思いがちですが、この映画を観ていると、子供だって色々なことを諦めながら人生というものを受け入れる努力をしているのだということを思い出させられます。<br />
<br />
「トトロ」で幼い姉妹が受け入れなければいけないことは「母親との死別の可能性」です。母親の病気に対して子供たちはどうすることもできません。これはサツキとメイの成長譚であるとも言えますが、何かを成し遂げるとか、何かができるようになるとか、そういう話ではありません。<br />
ただし受け入れなければいけないのは「母親との死別」そのものではないので、観客は過酷な印象を受けず、むしろ楽しく映画を観られます。<br />
「死別」そのものより「死別の可能性」の方が"小さなこと"ですが、その"小さなこと"をすくい上げて題材にし、丁寧に描き出したことが「トトロ」を名作にしました。<br />
"大きなこと"の方が"小さなこと"よりも描くべき価値があるというのは間違っています。<br />
<br />
明るく生活しながらも、心の隅に小さな不安を抱えている小さな姉妹の前に不思議な存在が姿を見せます。<br />
ススワタリやトトロたちは初めはちょっと怖い雰囲気を伴って現れます。しかも姿を現すのは子供たちだけのときで、少々ホラー映画的です。しかしサツキとメイはトトロたちが恐ろしい存在ではないことにじきに気が付きます。<br />
<br />
この点が作品のテーマと呼応しています。<br />
ちょっと恐ろしげに思えたトトロたちが実は恐れるべきものではないと受け入れることで、母親の病気という現実を受け入れる準備ができます。<br />
サツキたちの母親は快方に向かったように描かれていますから、一見、それで問題が解決したように見えますが、根底にあるのは小さい子供なら誰でも心に秘めている「いつか母親がいなくなってしまうかもしれない」という恐怖であり、これは受け入れるしかないものです。<br />
<br />
それではトトロたちは死を体現する存在なのでしょうか。その点を強調すれば「本当は怖い&hellip;」といった話にもなります。<br />
確かにトトロたちは異界の存在であり、死とつながるイメージを帯びているとは言えるでしょう。しかし死そのものを象徴しているというのは言いすぎです。<br />
ドングリが巨木に育つ場面からいっても、生と死の両方を含む自然を体現する存在と解釈しておくのが妥当なところでしょう。<br />
ただ、のちのシシ神のように明白な形ではないにしろ、微かに死の匂いは感じます。<br />
<br />
<br />
トトロたちの描き方について。<br />
隣家のお婆さんがススワタリに言及するところで、不思議な存在がまずは大人の視点から土俗的なものとして位置づけられます。<br />
サツキとメイの父親は妖怪のようなものですか、と尋ねますが、そんなものではないと老婆にやんわりと否定されます。父親は大学に勤める研究者であるらしく、知識人です。ここでススワタリやトトロのような不思議な存在を「妖怪」という概念でくくってしまうことが拒絶されています。<br />
<br />
二人の父親は"理解のある大人"であり、メイやサツキの言うことを否定しませんが、あくまで大人の視点で物事を捉えています。メイが見たというトトロを「森の主」と呼び、大きな楠の前で神前でのように手を合わせる仕草をしてみせるのは、やはり大人の世界観による大人の行動です。<br />
父親の言うことは、メイたちの体験の実感からはズレています。<br />
ここで物分りのいい父親を描きながらも、子供の世界と大人の世界のズレをきちんと描いているのは上手いところです。<br />
<br />
また、お婆さんがいうススワタリを、サツキとメイはまっくろくろすけと呼びます。<br />
お婆さんの言葉に含まれる伝統的土俗的な世界も、姉妹の体験する世界とはちょっとズレているのです。トトロは洋傘を喜んでさしますし、ネコバスは昔はいなかったでしょう。<br />
もし、お婆さんの言葉とトトロたちの存在が完全に一致してしまったら、その不思議さはだいぶ薄れてしまいます。「それは〜という妖怪だよ」という大人による説明で回収されてしまうと、随分つまらなくなります。<br />
そこを少しずらすことで、子どもたちの体験特有の感じが出せています。<br />
子供の頃を思い出してみれば誰でも、自分たちの世界や体験と、大人たちがそれに与える説明や解釈がズレていたという実感があるのではないでしょうか。「トトロ」はその感触も思い出させてくれます。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
]]></content:encoded>
    <dc:subject>映画</dc:subject>
    <dc:date>2017-05-22T20:24:41+09:00</dc:date>
    <dc:creator>OtterSF</dc:creator>
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  <item rdf:about="https://sacrificingfish.mangalog.com/tv%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1/%E3%80%8C%E3%81%91%E3%82%82%E3%81%AE%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%80%8D%E3%81%AE%E6%A7%8B%E6%88%90%E3%81%AA%E3%81%A9%E3%82%92%E8%80%83%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%BF%E3%82%8B">
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    <title>「けものフレンズ」の構成などを考えてみる</title>
    <description>TVアニメのドラマ構成について、以前に以下の記事を書きました。

「ガルパン」を題材にアニメのドラマ構成を考えてみる　その一

「ガルパン」を題材にアニメの構成を考えてみる　その二

その延長で「けものフレンズ」のドラマ構成などについても考えてみようと思います。
以下は、既に全話を観ていることを前提...</description>
    <content:encoded><![CDATA[TVアニメのドラマ構成について、以前に以下の記事を書きました。<br />
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<a href="http://sacrificingfish.mangalog.com/tv%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1/%E3%80%8C%E3%82%AC%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%B3%E3%80%8D%E3%82%92%E9%A1%8C%E6%9D%90%E3%81%AB%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1%E3%81%AE%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E%E6%A7%8B%E6%88%90%E3%82%92%E8%80%83%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%BF%E3%82%8B" title="">「ガルパン」を題材にアニメのドラマ構成を考えてみる　その一</a><br />
<br />
<a href="http://sacrificingfish.mangalog.com/tv%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1/%E3%80%8C%E3%82%AC%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%B3%E3%80%8D%E3%82%92%E9%A1%8C%E6%9D%90%E3%81%AB%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1%E3%81%AE%E6%A7%8B%E6%88%90%E3%82%92%E8%80%83%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%BF%E3%82%8B%E3%80%80%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BA%8C" title="">「ガルパン」を題材にアニメの構成を考えてみる　その二</a><br />
<br />
その延長で「けものフレンズ」のドラマ構成などについても考えてみようと思います。<br />
以下は、既に全話を観ていることを前提に書いてあります。<br />
<br />
<br />
<strong>第一幕</strong><br />
「けものフレンズ」は、主人公かばんの自分探しの物語です。<br />
ただし物語での「自分探し」とは、「自分についての知識や情報」を手に入れること自体がゴールな訳ではありません。むしろ物語の過程で経験を積んで、これからどう生きていくのかを決定できるようになることこそが主題なのです。<br />
<br />
さて、三幕構成に当てはめて考えてみると、第一話の終わり近くでかばんがサーバルと別れて一人で歩いていく場面が第一の転換点(ターニングポイント)にあたります。ここで主人公が、自分の意思で物語上の目的に向かって行動しはじめたと理解できるからです。<br />
<br />
「けものフレンズ」では第1話で第一幕を済ませていますが、一般的にこれはよいやり方だと思います。<br />
アニメによっては二十数分ではちょっと尺が足りなくなって第2話で少し補足しなければならなくなることがあるのは仕方ないと思いますが、第一幕で丸々2話以上使う構成は好きではありません。<br />
たまに第1話だけ一時間枠にする作品もありますが、有名原作付きでエピソードを削れないなどの事情があれば仕方ないとは言え、あまりいいとは思いません。<br />
2クール以上あるからという理由で第一幕を長くするのも上手くないと思います。<br />
とにかく物語を早く転がしはじめて、必要な情報は第二幕で提示していった方が視聴者を惹きつけられるはずです。<br />
<br />
<br />
<strong>第二幕・前半</strong><br />
さて、第二幕こそが物語の中で一番長い部分であり、ここをどうやって魅力的に構成するかが作り手の腕の見せどころでもあります。<br />
複数の小さなドラマを入れて話に起伏を作るのが有効なやり方ですが、「けものフレンズ」では、1話が一つのエピソードという形式を採っています。<br />
<br />
1話＝1エピソードで構成すると、定型反復による安心感、安定感が生まれます。<br />
これは「けものフレンズ」の穏やかな雰囲気には合っていますが、同時に次回への「引き」が弱くなるという側面もあります。<br />
例えば「ガールズ＆パンツァー」では、日常と試合とを交互に描いて物語が進行しますが、エピソードが回をまたぐように構成して次回への「引き」を強くしています。<br />
<br />
それに対し「けものフレンズ」では、作品の舞台が一体どのような世界であるのか知りたいという視聴者の好奇心を上手くかき立てることで「引き」にしているのが特徴と言えます。<br />
それを支えているのは、余計な説明はしないという作品のスタイルです。<br />
<br />
登場人物は自分たちが生活する世界を当たり前のものと見なしているので、説明的な台詞はほとんど言いません。(第7話で登場する博士と助手も、有りがちな「説明役のキャラクター」ではありませんでした。)<br />
そこで視聴者は、登場人物人物同士のやり取りと画面に描かれたものから設定を「読み取る」ことになりますが、これは「説明される」よりずっと面白いのです。<br />
<br />
もう一つ上手く機能しているのは主人公に記憶がないという設定です。<br />
作品の舞台となる世界のことを知らない視聴者は主人公に近い視点で物語を見ることができますが、主人公の視点に完全に重なることもありません。<br />
主人公は現実世界のことも知りませんから、視聴者の完全な分身というわけでもないので、「何でこう動かないんだ」というような視聴者の不満は起きにくい構造になっています。<br />
何も知らない主人公は「ジャパリまんはどこで作られているのか」といった疑問を性急に口にすることはありません。そのお陰で、視聴者は主人公の旅を眺めながら、ゆっくりと作品世界について知るという愉しみを味わえるのです。<br />
<br />
また、第9話で出た「ハンター」という言葉に説明がなく、第11話になってハンターたちが登場するというように、「存在を示唆されていたものが旅を続けると姿を現す」<br />
という見せ方も、世界の広がりを感じさせます。<br />
<br />
<br />
<strong>第二幕・後半</strong><br />
ドラマ構成上の中間点(ミッドポイント)は第7話と解釈します。<br />
主人公はヒトであると明言されますが、そのことは「自分探し」の答えにはならないことがはっきりしてくるわけで、大袈裟に響くかもしれませんがそれが主人公の危機です。<br />
やや番外編風である第8話は除くとしても、主人公の旅の目的が(とりあえずの目的地は示されるとは言え)曖昧になり、物語の行方に些かの不安を覚えるようになります。<br />
<br />
特に第10話では、ヒトが住むのに適した「ちほー」を見つければそれで済むと思っているサーバルと、パークの外に出てでも自分のアイデンティティを見極めたい主人公との対比によって、主題が強調されています。<br />
<br />
第二の転換点(ターニングポイント)は、第11話。<br />
かばんが羽根の二枚揃った帽子を被って、ジャパリパークとそこに住むフレンズたちの為に行動すると宣言する場面です。<br />
「自分が何者であるか」という問いに対して、「自分はどう生きるのかを示す」ことで決着がつけられます。後の第12話でかばんの出生の秘密が明かされますが、仮に正体が別のものだったとしても、ドラマには影響を与えません。<br />
<br />
主人公はラッキービーストによって暫定パークガイドに任命されることで、象徴的に生まれ変わります。(まさに成長の物語なのです。)<br />
そこでキーアイテムになるのが羽根の二枚揃った帽子なのですが、ここで大事な役割を果たすのが第1話から主人公を帽子泥棒と思って追いかけてきたアライグマのアライさんというキャラクターです。<br />
<br />
帽子泥棒だと思っていた相手が、実は旅の折々でよい評判を聞いて自分も尊敬していた「かばんさん」だったことを知って、アライさんは帽子を引き渡します。<br />
この帽子は「パークガイドに相応しい人物」を示す意味あいを帯びていますが、それを受け取る権利は「主人公がパークのフレンズたちを手助けしてきた」という事実が元になっています。<br />
そして、アライさんは図らずも裁定者としての役割を(トリックスター的に)演じていることになります。<br />
<br />
<br />
<strong>第三幕</strong><br />
第二の転換点で自分の進むべき道を決めた主人公は、島の外に出るための船を犠牲にしてフレンズたちを助けることを選びます。<br />
<br />
かばんという主人公には、強みと弱みとが上手く設定されています。<br />
主人公の強みはヒトとしての知恵で、これを使って毎回の問題を解決してきました。他方の弱点は、臆病さと(他のフレンズと比較しての)身体能力の低さです。<br />
<br />
第11話で登場した大型セルリアンに対して、主人公が知恵を使って立てた作戦は有効でした。<br />
しかしその作戦でセルリアンを倒すことはできても、セルリアンに取り込まれたサーバルを救うことはできないというパラドクスに直面します。<br />
知恵だけでは解決できないこの状況に対して、主人公は自分の弱点である臆病さと身体能力の低さを克服する行動を示して、その人間的成長を見せます。<br />
<br />
そして最終話で主人公の選択の結果とその後が描かれます。<br />
<br />
<br />
<strong>まとめ</strong><br />
形式的に区分けしてみると、意外に第二幕後半が長いことに気づきました。<br />
第二幕後半は大まかに言って主人公の苦境パートですが、あまり苦境を強調していないので視聴者へのストレスは小さくなっていると思います(不穏な雰囲気は出ていますが)。<br />
<br />
物語に大きな起伏がないままほのぼのと進行して、終盤で深刻な事件の発生と解決を描いて終わるところ、同時に序盤から背後に不吉なものが流れ続けているところ、作品世界の不思議な面がだんだんと明かされていくところなどが、ちょっと「となりのトトロ」にも似ているようにも思いました。<br />
もちろん似てないところも色々ありますけど。<br />
<br />
「けものフレンズ」について書こうと思ったのですが、なかなか考えがまとまらず、だいぶ時間がかかってしまいました。どういう切り口で書くか迷ったのですが、とりあえず構成を中心に考えてみました。<br />
書き残したことがある気分ですが、思いついたらまた何か書いてみます。<br />
<br />
]]></content:encoded>
    <dc:subject>TVアニメ</dc:subject>
    <dc:date>2017-05-20T22:17:47+09:00</dc:date>
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  <item rdf:about="https://sacrificingfish.mangalog.com/manga_criticism/%E8%A7%A3%E9%87%88%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6">
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    <title>解釈について</title>
    <description>ある作品を見るとき、最初は気がつかなかった別の解釈が可能だと後からわかることがあります。
それは独特の楽しさを持つ体験ではありますが、そのせいで新しい解釈の方が優れた解釈であるとか、作品の本当の意味なのだとか思ってしまう傾向性が人間にはあるようです。
例えばAとBの二種類の解釈が可能なとき、どちらの...</description>
    <content:encoded><![CDATA[ある作品を見るとき、最初は気がつかなかった別の解釈が可能だと後からわかることがあります。<br />
それは独特の楽しさを持つ体験ではありますが、そのせいで新しい解釈の方が優れた解釈であるとか、作品の本当の意味なのだとか思ってしまう傾向性が人間にはあるようです。<br />
例えばAとBの二種類の解釈が可能なとき、どちらの解釈が先に来るかによって「本当の意味」が変わってしまっていいのかとか、人によって解釈の前後が違うかもしれないのに優劣を決められるのか、というような状況も考えられるわけです。<br />
<br />
このような心理的な傾向を利用して、新奇な解釈を提示してそれこそが優れた解釈であるかのように語る批評には注意が必要でしょう。<br />
<br />
また、多様な解釈ができることを無条件に良いことのように語ることも怪しむべきでしょう。<br />
例えば、"X"という記号は、あらゆる文字や記号のいずれかひとつ(空白を含む)として解釈でき、"n"という記号は次に置かれた記号が1以上の任意の数だけ並んでいると解釈できる、と約束します。<br />
そうすると、"nX"と書けば無限の解釈が可能で、過去から未来に書かれるあらゆる文芸を内に含みつつ、それを超える多様性をも持つことになります。<br />
しかし、明らかにこの"nX"が持つ多様性なるものは貧しいものです。情報量ゼロですから。<br />
<br />
複数の解釈が可能であることは我々に喜びを与えることが確かにありますが、その条件についてはもっと検討が必要でしょう。<br />
<br />
<br />
]]></content:encoded>
    <dc:subject>漫画批評</dc:subject>
    <dc:date>2017-04-30T18:48:34+09:00</dc:date>
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    <title>批評とは何かというおはなし</title>
    <description>批評とは何かという文章には2種類あります。

ひとつは、「どんなものが批評と呼ばれているか」という事実について論じている文章で、「ナントカ批評」「カントカ批評」などと色々な批評の種類を並べて紹介することが多いようです。

もうひとつは、「批評とはどんなものであるべきか」という価値について論じた文章で...</description>
    <content:encoded><![CDATA[批評とは何かという文章には2種類あります。<br />
<br />
ひとつは、「どんなものが批評と呼ばれているか」という事実について論じている文章で、「ナントカ批評」「カントカ批評」などと色々な批評の種類を並べて紹介することが多いようです。<br />
<br />
もうひとつは、「批評とはどんなものであるべきか」という価値について論じた文章です。「批評とXXは何が違うか」とか、「世間ではこれこれのものが批評と呼ばれているが、それは批評とは呼べない」というようなことが語られます。<br />
<br />
私としては今のところ「批評多元主義」とでも言いましょうか、色んな批評があっていいし、批評というものをできるだけ幅広く認めてあげていいんじゃないかと思っています。<br />
更に言うと、批評の良し悪しという価値判断をするにしても、どんなものが良い批評なのかという価値基準は複数あるんじゃないかと。<br />
<br />
]]></content:encoded>
    <dc:subject>漫画批評</dc:subject>
    <dc:date>2017-04-26T20:48:52+09:00</dc:date>
    <dc:creator>OtterSF</dc:creator>
    <dc:publisher>NINJA BLOG</dc:publisher>
    <dc:rights>OtterSF</dc:rights>
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  <item rdf:about="https://sacrificingfish.mangalog.com/tv%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1/%E3%80%8C%E3%81%BE%E3%81%A9%E3%83%9E%E3%82%AE%E3%80%8D%E3%82%92%E9%A1%8C%E6%9D%90%E3%81%AB%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1%E3%81%AE%E6%A7%8B%E6%88%90%E3%82%92%E8%80%83%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%BF%E3%82%8B">
    <link>https://sacrificingfish.mangalog.com/tv%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1/%E3%80%8C%E3%81%BE%E3%81%A9%E3%83%9E%E3%82%AE%E3%80%8D%E3%82%92%E9%A1%8C%E6%9D%90%E3%81%AB%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1%E3%81%AE%E6%A7%8B%E6%88%90%E3%82%92%E8%80%83%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%BF%E3%82%8B</link>
    <title>「まどマギ」を題材にアニメの構成を考えてみる</title>
    <description>「ガルパン」を題材にアニメのドラマ構成を考えてみる　その一

「ガルパン」を題材にアニメの構成を考えてみる　その二

の続きです。
「魔法少女まどか☆マギカ」テレビシリーズのスポイラーを含みます。


第一幕
プロローグ的に主人公の鹿目まどかの夢の場面から始まり、続いて主人公の日常を描く導入です。
...</description>
    <content:encoded><![CDATA[<a href="http://sacrificingfish.mangalog.com/tv%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1/%E3%80%8C%E3%82%AC%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%B3%E3%80%8D%E3%82%92%E9%A1%8C%E6%9D%90%E3%81%AB%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1%E3%81%AE%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E%E6%A7%8B%E6%88%90%E3%82%92%E8%80%83%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%BF%E3%82%8B" title="">「ガルパン」を題材にアニメのドラマ構成を考えてみる　その一</a><br />
<br />
<a href="http://sacrificingfish.mangalog.com/tv%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1/%E3%80%8C%E3%82%AC%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%B3%E3%80%8D%E3%82%92%E9%A1%8C%E6%9D%90%E3%81%AB%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1%E3%81%AE%E6%A7%8B%E6%88%90%E3%82%92%E8%80%83%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%BF%E3%82%8B%E3%80%80%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BA%8C" title="">「ガルパン」を題材にアニメの構成を考えてみる　その二</a><br />
<br />
の続きです。<br />
「魔法少女まどか☆マギカ」テレビシリーズのスポイラーを含みます。<br />
<br />
<br />
<strong>第一幕</strong><br />
プロローグ的に主人公の鹿目まどかの夢の場面から始まり、続いて主人公の日常を描く導入です。<br />
第1話のAパートの前にオープニングアニメーションを普通に入れていますが、この作品は珍しくオープニングにセットアップの機能がほとんどないので(むしろ伏線かミスリーディング)、第一幕で視聴者に情報を整理して与えていく上で邪魔にならないという判断でしょうか。<br />
<br />
主人公の日常側の登場人物として、まどかの家族、美樹さやか、志筑仁美、非日常側として暁美ほむら、巴マミ、キュゥべえが第一話で導入されます。夢の場面を含めばワルプルギスの夜も登場しており、さやかのサブプロットに関わる上条恭介も名前だけは出てきます。<br />
第1話でセットアップはおおむね済ませていますが、第2話のAパートで、巴マミがまどかとさやかに魔法少女について説明をする形でセットアップを完了します。<br />
<br />
主人公のまどかが、マミの魔法少女としての活動に同行することを決めたことが最初の転換点でしょう(第2話Bパート)。まどかにはまだ躊躇いがあり、状況に流されている面もありますが、魔法少女の衣装のデザインを自分で描いてきていることから、弱いながらも非日常の世界に踏み込んでいく意志が認められます。<br />
<br />
第一幕で、まどかは主人公として「今の自分を変えて周囲の人々を助けたい」という主張を持っていることが示されています。この主張はまだ弱いもので、まどかはその本当の意味を知りません。<br />
これに対して、暁美ほむらは「まどかを今のままの日常に留めておきたい」という主張を持っており、両者は対立しています。（ほむらもまどかも互いに悪意は持っていないが、ドラマ的な主張という点では鋭く対立している。）<br />
<br />
<br />
<strong>第二幕・前半</strong><br />
TVアニメでは第二幕の前半を長めに取るのが一般的だと思いますが、「まどマギ」ではかなり短くなっています。<br />
まどかはマミが魔女を倒して人々を救う様子を見て、自分も魔法少女になるという思いを強めていきます。そして第3話のBパート、自分も魔法少女になるとマミに約束した直後にマミが魔女に殺され、早くも中間点(ミッドポイント)を迎えます。<br />
<br />
<br />
<strong>第二幕・後半</strong><br />
マミの死によって、魔法少女に成りたいというまどかの意志はいったん折られ、第二幕の後半が始まります。<br />
普通のアニメは第二幕の後半をあまり長く引き伸ばさないのですが、「まどマギ」はここが長いので視聴者に重く暗い印象を与えます。<br />
<br />
まどかは「周囲の人々を助けたい」という主人公としての主張を捨てたわけではないので、魔女の犠牲者に成りかけた仁美を助けようとしたり、魔法少女となったさやかを支えようとして、物語に関わり続けます。<br />
しかし、まどかの物語を引き継いで第二幕後半を主に支えるのは、副主人公の一人と言うべき美樹さやかのサブプロットです。<br />
<br />
<div style="text-align: center;">＊ ＊ ＊ ＊ ＊</div><br />
<strong></strong><strong>〈さやかのサブプロット〉</strong><br />
美樹さやかのサブプロットは、物語全体の中に入れ子になったドラマの構成を持っています。サブプロットにも独自の転換点や中間点があるのです。<br />
<br />
さやかの物語に必要なセットアップは、物語全体の第一幕である程度なされていますから、その後に上条恭介が紹介されれば完了します。<br />
<br />
まどかと違って、さやかは魔法少女になる意志をマミの死によって折られることはありません。<br />
さやかは恭介の怪我を治すために魔法少女になることを選びます。これがさやかの物語における最初の転換点です(第4話Bパート)。<br />
しかし、さやかのドラマの上の主張は混乱したものであり、そのため彼女の物語は悲劇的な結末を迎えることになります。<br />
<br />
さやかのサブプロットの第二幕前半に当たる部分で、さやかは魔女からまどかと仁美を救い、恭介の怪我の奇跡的な回復を目の当たりにして、束の間の高揚感を味わいますが、長くは続きません。<br />
<br />
さやかの物語の中間点は、佐倉杏子が登場してさやかとの対決になるときです。ここでさやかは自分の魔法少女としての弱さを突きつけられます。<br />
これ以後、さやかの物語は第二幕後半に入り、彼女の苦境が続きます。<br />
色々あって追い詰められたさやかは、親友のまどかを拒絶し、ほむらが差し出すグリーフシードを受け取ることも拒みます(第8話Aパート)。この誤った決断が、さやかにとって二つ目の転換点です。<br />
<br />
さやかの物語の悲劇的な結末が語られるのが、サブプロットの第三幕に相当するパートです。<br />
絶望したさやかは魔法少女から魔女へと変わります。<br />
さやかを救おうとする杏子の試みは失敗。杏子は魔女となったさやかとともに死ぬことを選び、さやかの物語は終わります。<br />
<br />
<br />
<strong>〈佐倉杏子のサブプロット〉</strong><br />
さやかのサブプロットと平行して、佐倉杏子のサブプロットが進行します。<br />
杏子の最初の転換点は、さやかを教会の廃墟に呼んで自分の過去を打ち明けるところです。ここから杏子はさやかを助けるための行動を始めます。<br />
さやかが魔女になる場面が中間点。<br />
二つ目の転換点は、さやかを救うためにまどかに協力を求める箇所。しかし、魔女となったさやかを救う試みは失敗し、杏子は死にます。<br />
やや簡略ですが、杏子のサブプロットにもドラマ的な構成が認められます。<br />
<br />
<div style="text-align: center;">＊ ＊ ＊ ＊ ＊</div><br />
さて本来の主人公のまどかですが、さやかの苦しみを前にして、マミの死によって挫かれていた「魔法少女になる」という意志を取り戻し、さやかを救おうとします。<br />
しかし、これはほむらによって取りあえず阻まれます。<br />
ここで、さやかの物語が幕を引くのと入れ違いにまどかの物語が再始動の兆しをみせているのですが、魔法少女の残酷な真実が明らかになり、まどかの意志は再び退けられます。<br />
<br />
<div style="text-align: center;">＊ ＊ ＊ ＊ ＊</div><br />
<strong>〈ほむらのサブプロット〉</strong><br />
まどかの物語が第二の転換点を迎える前に、もう一人の副主人公である暁美ほむらのサブプロットが挿入されます(第10話)。<br />
<br />
過去に、ほむらは魔法少女になっていたまどかに命を救われました。その後、まどかはワルプルギスの夜と戦って死にますが、ほむらはまどかを救うために魔法少女になることを決意し、魔法を使って時間を過去に巻き戻します。<br />
ここからほむらの戦いが始まるわけで、最初の転換点となります。ほむらの主張は「まどかを守ること」です。<br />
<br />
二度目の時間で、ほむらは自分の魔法を使いこなすことを学びながら、まどか達とともに戦います。ここが第二幕の前半に当たるようです。<br />
しかし結果として、まどかは魔女となってしまい、ほむらは魔法少女の末路は魔女であると悟ります。ここが中間点。<br />
<br />
その後が、ほむらの物語の第二幕後半。何度時間を巻き戻してもまどかを救えないという苦境が描かれます。<br />
他のメインキャラクターと同じく、ほむらの物語も第二幕の前半よりも後半の方が長くなります。<br />
何度目かの時間で、魔女になりかかったまどかは、時間を遡って自分が魔法少女になる前に止めてほしいとほむらに頼みます。ほむらはこれを約束し、まどかの望み通り、まどかが魔女になる前にそのソウルジェムを砕きます。これがほむらにとっての第二の転換点です(第10話Bパート)。<br />
<br />
ここで視聴者には、第1話からのほむらの行動が、ほむらの物語の第三幕だったことが明らかになります。<br />
そして第11話でついにワルプルギスの夜が到来し、ほむらはこれと対決しますが、敗れます。<br />
絶望しかかったほむらの前にまどかが現れ、魔法少女になることを告げます。<br />
これでほむらの物語は終わります。<br />
<br />
<div style="text-align: center;">＊ ＊ ＊ ＊ ＊</div><br />
そして、まどかが魔法少女になると決心することが、物語全体の第二の転換点です。<br />
まどかは「今の自分を変えて周囲の人々を助けたい」というドラマ上の主張を貫きます。ただし、それは第一幕で示されたときよりも強く鍛え上げられたものになっています。<br />
<br />
<br />
<strong>第三幕</strong><br />
第12話が第三幕に当たり、第二の転換点で示された主人公の決意が生む帰結が描かれます。<br />
<br />
<br />
<strong>まとめ</strong><br />
「まどマギ」の特徴は、やはり長い第二幕後半でしょう。第3話の終わりから第11話の終わりまで、8話分続きます。<br />
その間、単調に主人公の苦境が続けば視聴者はついてこられないかもしれません。そこでサブキャラクターのサブプロットが第二幕後半を支え、物語に起伏をつけています。<br />
サブプロットは主人公の物語と結びついて話を展開させる役割を果たしているので、サブプロットが語られる間に話が脱線してる印象を与えることもありません。<br />
<br />
「まどマギ」のストーリーは特別なようですが、三幕構成の図式の組み合わせとして理解することができます。<br />
魔法少女ものの形を取りながら残酷な物語を描いたことや、タイムループのギミックが注目を集める作品ですが、そのドラマ構成も興味深いものです。<br />
<br />
1クールのTVアニメで、三幕構成の組み合わせでこういうストーリーも作れるということに大きな可能性を感じました。<br />
<br />
<br />
]]></content:encoded>
    <dc:subject>TVアニメ</dc:subject>
    <dc:date>2017-02-23T21:30:47+09:00</dc:date>
    <dc:creator>OtterSF</dc:creator>
    <dc:publisher>NINJA BLOG</dc:publisher>
    <dc:rights>OtterSF</dc:rights>
  </item>
  <item rdf:about="https://sacrificingfish.mangalog.com/tv%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1/%E3%80%8C%E3%82%AC%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%B3%E3%80%8D%E3%82%92%E9%A1%8C%E6%9D%90%E3%81%AB%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1%E3%81%AE%E6%A7%8B%E6%88%90%E3%82%92%E8%80%83%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%BF%E3%82%8B%E3%80%80%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BA%8C">
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    <title>「ガルパン」を題材にアニメの構成を考えてみる　その二</title>
    <description>「ガルパン」を題材にアニメのドラマ構成を考えてみる　その一

の続きです。
「ガールズ&amp;amp;amp;パンツァー」テレビシリーズのスポイラーを含みます。


第一幕
第1話が第一幕に当たります。
ロボットアニメでは初回で主人公をロボットに乗せなければいけない、なんて話を聞いたことがありますが、第1話でセッ...</description>
    <content:encoded><![CDATA[<a href="http://sacrificingfish.mangalog.com/tv%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1/%E3%80%8C%E3%82%AC%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%B3%E3%80%8D%E3%82%92%E9%A1%8C%E6%9D%90%E3%81%AB%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1%E3%81%AE%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E%E6%A7%8B%E6%88%90%E3%82%92%E8%80%83%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%BF%E3%82%8B" title="">「ガルパン」を題材にアニメのドラマ構成を考えてみる　その一</a><br />
<br />
の続きです。<br />
「ガールズ&amp;パンツァー」テレビシリーズのスポイラーを含みます。<br />
<br />
<br />
<strong>第一幕</strong><br />
第1話が第一幕に当たります。<br />
ロボットアニメでは初回で主人公をロボットに乗せなければいけない、なんて話を聞いたことがありますが、第1話でセットアップを済ませて最初の転換点(ターニングポイント)まで描いてしまうのがTVアニメでは効果的なようです。<br />
全体の尺から言うと短いようですが、二十数分あれば映画の第一幕とあまり変わりません。アニメの第1話は映画並みにテンポよくタイトな構成が求められます。<br />
<br />
冒頭、時系列を先取りして聖グロリアーナ戦から始めて、可愛い女の子が派手な戦車戦をするアニメですよ、というある意味で一番重要(？)な情報を視聴者に示します。<br />
<br />
続いてが本当の導入で、主人公の西住みほが新しい街、新しい学校に来たばかりであること(ニューアライバル)がわかります。<br />
主要登場人物と、戦車道という奇妙な設定を含む世界が紹介され、みほは生徒会から戦車道を行うよう迫られます。みほは過去の経緯から戦車道を避けているようですが、新しくできた友人を庇うために生徒会の要求を呑みます。ここが最初の転換点(ターニングポイント)です。<br />
主人公のドラマ上の主張は「仲間を守りたい」です。<br />
第一幕の時点ではまだ主人公とその主張は最後まで貫きとおせる強さを持ちませんが、第二幕の試練によって鍛え上げられ、第三幕に結実します。<br />
<br />
なお、みほは戦車道を嫌がっている設定ですが、主人公は嫌なことをせざるを得ない状況に置かれるか、逆にやりたいことを思うようにできない状況に置かれるのが定跡ですね。<br />
<br />
第1話の締めくくりは巨大な学園艦の全貌を見せることで、作品の世界観、リアリティの水準を見せています。現実味よりも娯楽としての楽しさを優先していることが視聴者に伝わります。<br />
<br />
また、第1話ではエンディング・アニメーションが省かれ、代わりにオープニング・アニメーションが最後に回されています。<br />
セットアップを1話で済ませなければならないため、尺が不足するのが理由の一つでしょう。<br />
また、オープニング・アニメーションにはセットアップの機能(主要登場人物、世界観の紹介など)が含まれているため、情報の提示をコントロールするため後に回されたり、省かれたりすることはよくありますね。<br />
<br />
<br />
<strong>第二幕・前半</strong><br />
第2話から、第二幕に相当する部分が始まります。<br />
第二幕の前半は、主人公は概ね順調に障害を突破して物語を進展させていくパートです。そして、TVアニメではこのパートを引き延ばすのが一般的な構成のようです。<br />
「ガルパン」では戦車道の試合が繰り返されますが、それぞれの試合が簡略ながらドラマとしての構成を持っています。<br />
物語全体の中に入れ子のように小さなドラマ構造をはめ込むことは、最後まで視聴者を退屈させずに惹きつけておくためにとても有効な方法です。<br />
一回の放送分=一つのドラマという構成もよく使われますが、「ガルパン」では回をまたぐようにドラマ上の区切りをつけることで、翌週への「引き」を強めるように作られています。<br />
<br />
また第二幕前半を使って、主人公以外のキャラクターのサブプロットも描かれます。<br />
視聴者を惹きつける上で、サブキャラクターの魅力を利用するのもアニメの常套手段でしょう。「ガルパン」ではサブキャラクターのサブプロットはシンプルなものですが、数多い登場人物たちが「その他大勢」になってしまわないよう配慮してあります。<br />
<br />
そして第7話では、主人公みほの過去が語られ、彼女が戦車道を忌避してきた理由が明かされます。<br />
みほは以前に、試合中に水中に落ちた仲間を助けることを、大会で優勝より優先するという決断をしました。ここでも「仲間&gt;勝利」という主人公の主張が現れていますが、あくまで勝利を強調する母親の主張と対立し、戦車道自体を忌避するに至りました。<br />
こうして過去が語られた後、みほは大洗女子学園の仲間たちと一緒にしてきた戦車道は楽しかったことを自覚しますが、これは第二幕後半に訪れる危機との落差を生むための前振りです。<br />
<br />
<br />
<strong>第二幕・後半</strong><br />
第8話Bパートに中間点(ミッドポイント)があり、それ以降は主人公が追い詰められる第二幕後半です。<br />
一般的に、第8話付近に中間点を置くのが1クールアニメの黄金比ではないでしょうか。映画とは異なり、ちょうど真ん中にはありません。<br />
<br />
プラウダ高校戦で、みほは仲間たちの意見に押されて、内心危ないと感じながらも軽率な作戦を採用してしまい、みすみすプラウダ校の罠に嵌って苦境に陥ります。<br />
ここでの失敗は主人公の「仲間&gt;勝利」の価値観が裏目に出ています。<br />
<br />
さらに大洗女子学園は、この大会で優勝できなければ廃校になるという事実が明らかになり、主人公の危機は最大になります。<br />
<br />
第9話Aパートで、みほが仲間たちを鼓舞するためにあんこう踊りを踊ることで、物語は第二の転換点を迎えます。<br />
主人公を捕らえていた「仲間か勝利か」という偽りの二者択一が解消し、「仲間を守りたい」という主張に光が当たります。みほは仲間との学園生活を守るため、積極的に戦車道での勝利を目指します。<br />
<br />
TVアニメの第二幕の後半は、前半と比べてずいぶん短くなります。<br />
映画では、いくら主人公の苦境が描かれても30分もすれば第三幕が始まり、観客のストレスはそこで解消します。<br />
それに対して、TVアニメで何週間も主人公の苦境を引き延ばせば、視聴者に与えるストレスが大きくなりすぎます。いわゆる「鬱展開」が嫌われるということで、映画の構成をそのまま引き延ばして全体の四分の一を第二幕の後半とするわけにはいきません。<br />
「ガルパン」では第8話後半から第9話前半まで、間に一週間空いているので十分な長さなのでしょう。<br />
<br />
<br />
<strong>第三幕</strong><br />
主人公の決意によって物語は第三幕に進みます。<br />
ここは生まれ変わった主人公が試練に打ち勝ち、その主張を貫くパートです。<br />
<br />
映画では第三幕を短めにすることがありますが、「ガルパン」では第9話後半から第12話までとそれなりの長さがあります。<br />
ドラマの構成として第三幕は1話分の尺があれば成り立つと思いますが、主人公たちの活躍を派手な戦車戦で見せるという作品の方向性から、第三幕を長めにとってあるのでしょう。<br />
作品のジャンルによっては、サクッと話を畳んでしまった方がいい場合もあると思います。<br />
<br />
<br />
<strong>まとめ</strong><br />
個人的な意見ですが、ドラマの構成論というのは大雑把には成り立つと思いますが、精密で絶対的な原理として成立するかという点には懐疑的です。<br />
理論を精密化すればするほど、実際の作品を無理矢理、理論に押し込んで当てはめているのではないかという疑問が湧いてきてしまいます。<br />
例えば、どこが物語の転換点や中間点になるのか、ここで述べたのとは別の解釈も可能かもしれませんが、大まかに構成を示せれば十分だと考えて書きました。<br />
<br />
「ガルパン」の構成は、1クールアニメとしては王道と言っていいと思います。<br />
よく似た構成のアニメは色々あると思いますし、これからも作られていくでしょう。<br />
<br />
次に、少し変わった構成になっている「魔法少女まどか☆マギカ」について書いてみようと思います。<br />
<br />
<a href="http://sacrificingfish.mangalog.com/tv%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1/%E3%80%8C%E3%81%BE%E3%81%A9%E3%83%9E%E3%82%AE%E3%80%8D%E3%82%92%E9%A1%8C%E6%9D%90%E3%81%AB%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1%E3%81%AE%E6%A7%8B%E6%88%90%E3%82%92%E8%80%83%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%BF%E3%82%8B" title="">「まどマギ」を題材にアニメの構成を考えてみる</a><br />
<br />
その後、「けものフレンズ」の構成についても書きました：<br />
<br />
<a href="http://sacrificingfish.mangalog.com/tv%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1/%E3%80%8C%E3%81%91%E3%82%82%E3%81%AE%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%80%8D%E3%81%AE%E6%A7%8B%E6%88%90%E3%81%AA%E3%81%A9%E3%82%92%E8%80%83%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%BF%E3%82%8B" title="">「けものフレンズ」の構成などを考えてみる</a><br />
<br />
<br />
]]></content:encoded>
    <dc:subject>TVアニメ</dc:subject>
    <dc:date>2017-02-06T19:58:17+09:00</dc:date>
    <dc:creator>OtterSF</dc:creator>
    <dc:publisher>NINJA BLOG</dc:publisher>
    <dc:rights>OtterSF</dc:rights>
  </item>
  <item rdf:about="https://sacrificingfish.mangalog.com/tv%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1/%E3%80%8C%E3%82%AC%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%B3%E3%80%8D%E3%82%92%E9%A1%8C%E6%9D%90%E3%81%AB%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1%E3%81%AE%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E%E6%A7%8B%E6%88%90%E3%82%92%E8%80%83%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%BF%E3%82%8B">
    <link>https://sacrificingfish.mangalog.com/tv%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1/%E3%80%8C%E3%82%AC%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%B3%E3%80%8D%E3%82%92%E9%A1%8C%E6%9D%90%E3%81%AB%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1%E3%81%AE%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E%E6%A7%8B%E6%88%90%E3%82%92%E8%80%83%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%BF%E3%82%8B</link>
    <title>「ガルパン」を題材にアニメのドラマ構成を考えてみる　その一</title>
    <description>ドラマの構成に関しては、映画の三幕構成としてすでに多くの人に論じられています。

映画は一般的に、はじめから終わりまで一気に観ることが前提に作られていますから、無駄のない構成が良しとされます。長時間集中力を維持するのは疲れますから、観客は無駄に見える部分があるとイライラしたり、寝たりします。
興行的...</description>
    <content:encoded><![CDATA[ドラマの構成に関しては、映画の三幕構成としてすでに多くの人に論じられています。<br />
<br />
映画は一般的に、はじめから終わりまで一気に観ることが前提に作られていますから、無駄のない構成が良しとされます。長時間集中力を維持するのは疲れますから、観客は無駄に見える部分があるとイライラしたり、寝たりします。<br />
興行的にも上映時間が短い方が好ましいようで、いわば外部からの短縮化の圧力もあります(反対に雑誌連載の漫画には引き延ばし圧力がかかったりするようですが)。<br />
そこから、映画にはドラマとして成立する最小限に近い構成があると考えられます。<br />
<br />
まずは、この三幕構成について自分なりに簡単にまとめてみようと思います。(内容は一般によく知られているものと変わりません。)<br />
<br />
第一幕では、主人公をはじめとした主要な登場人物が紹介され、物語の舞台、そして主人公が何をする映画なのかが示されます(セットアップ)。<br />
そして物語の発端となる事件が起こる、あるいは状況が明らかになります。<br />
主人公にとっての中心的な課題が示され、最初のターニングポイント(転換点)で主人公が物語の中に本格的に踏み込んでいく行動を取ることで、第二幕へ転換します。<br />
映画では第一幕は全体の約四分の一、30分程度とされます。<br />
<br />
第二幕の分量は、第一幕の2倍、1時間程度で、前半と後半に分かれます。<br />
前半では、主人公は概ね順調に障害を突破して物語を前進させます。<br />
ここで主人公が物語と関係のないことばかりしていると、観客は話が進まないように感じて不満を感じてしまいます。<br />
「概ね順調に障害を突破して」と述べましたが、実は失敗続きでも主人公が前向きに挑戦し続けている限りは、観客は物語は前に進んでいると感じるようです。その努力はいつか報われると感じるからでしょう。<br />
<br />
第二幕の中間あたりにミッドポイント(中間点)と呼ばれる転機があり、第二幕の後半が始まります。ここまで概ね順調に進んできた主人公は苦境に陥り、追い詰められていきます。<br />
前半から後半への転換は、衝撃的に見せた方が効果的です。<br />
「敵」は今までよりスケールアップし、味方は内部分裂して足並みが揃わず、今まで主人公を導いてきた頼りになる人物が退場する、といったことが起こります。<br />
ドン底まで追い詰められた主人公が、第二のターニングポイント(転換点)で大きな決断を下し、最後の挑戦を試みます。<br />
<br />
第三幕では、第二のターニングポイント(転換点)で生まれ変わった主人公が試されます。<br />
クライマックスで最大の障害を乗り越えることで、「主人公の中心的な課題」が達成されたことが示され、それに続くエンディングで副次的な問題も解決し、世界は(少しかも知れないが)変わったことが提示されて、物語は終わります。<br />
分量としては、第一幕と同じかそれより短いくらいになります。<br />
<br />
<br />
それではTVアニメではどうかというと、毎週前回の続きを放送するという形式ゆえに映画と同じタイトな構成にはなりません。映画の構成をそのまま引き延ばして、序盤の四分の一が第一幕、中盤の二分の一が第二幕、終盤の四分の一が第三幕としてもうまくいかないでしょう。<br />
<br />
ではどうなるかという点を「ガールズ&amp;パンツァー」を実例に検討することにします。<br />
分析しやすい分量の1クールのアニメで、原作の展開に引きずられないオリジナルのストーリー、力強いドラマの構造を持つ作品、という条件で選びました。<br />
<br />
続き：<br />
<a href="http://sacrificingfish.mangalog.com/tv%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1/%E3%80%8C%E3%82%AC%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%B3%E3%80%8D%E3%82%92%E9%A1%8C%E6%9D%90%E3%81%AB%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1%E3%81%AE%E6%A7%8B%E6%88%90%E3%82%92%E8%80%83%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%BF%E3%82%8B%E3%80%80%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BA%8C" title="">「ガルパン」を題材にアニメの構成を考えてみる　その二</a><br />
<br />
<br />
]]></content:encoded>
    <dc:subject>TVアニメ</dc:subject>
    <dc:date>2017-02-06T17:52:24+09:00</dc:date>
    <dc:creator>OtterSF</dc:creator>
    <dc:publisher>NINJA BLOG</dc:publisher>
    <dc:rights>OtterSF</dc:rights>
  </item>
  <item rdf:about="https://sacrificingfish.mangalog.com/manga_criticism/%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%95%E3%82%89%E6%97%A5%E5%B8%B8%E7%B3%BB%E3%82%92%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B">
    <link>https://sacrificingfish.mangalog.com/manga_criticism/%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%95%E3%82%89%E6%97%A5%E5%B8%B8%E7%B3%BB%E3%82%92%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B</link>
    <title>いまさら日常系を考える</title>
    <description>セカイ系について書いたら、日常系についても少し書いてみたくなりました。

いまさらセカイ系を考える　其の一

いまさらセカイ系を考える　其の二

◆何が日常系か？(日常系とは何か？というよりも&amp;amp;hellip;)

日常系についても、セカイ系と同じ捉え方ができると思っています。
つまり日常系的だとされ...</description>
    <content:encoded><![CDATA[セカイ系について書いたら、日常系についても少し書いてみたくなりました。<br />
<br />
<a href="http://sacrificingfish.mangalog.com/manga_criticism/%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%95%E3%82%89%E3%82%BB%E3%82%AB%E3%82%A4%E7%B3%BB%E3%82%92%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B%E3%80%80%E5%85%B6%E3%81%AE%E4%B8%80" title="">いまさらセカイ系を考える　其の一</a><br />
<br />
<a href="http://sacrificingfish.mangalog.com/manga_criticism/%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%95%E3%82%89%E3%82%BB%E3%82%AB%E3%82%A4%E7%B3%BB%E3%82%92%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B%E3%80%80%E5%85%B6%E3%81%AE%E4%BA%8C" title="">いまさらセカイ系を考える　其の二</a><br />
<br />
◆何が日常系か？(日常系とは何か？というよりも&hellip;)<br />
<br />
日常系についても、セカイ系と同じ捉え方ができると思っています。<br />
つまり日常系的だとされている要素を多く含んでいるものが日常系ということです。<br />
<br />
網羅的でもなければ、整理された形でもありませんが、日常系的と見做される要素をリストアップしてみましょう。<br />
<br />
・主要登場人物には「萌え」少女キャラクターが複数(3人以上)配置される<br />
・舞台は現代日本で非日常的な事件は起こらず、主要登場人物の生活空間の外の社会が描かれることも、物語に関与してくることもない<br />
・困難を乗り越えてキャラクターが本質的に成長ないし変化することはない(成長エピソードが含まれていたとしても切実なものではなく、予定調和的な「小さな成長」に留まる)<br />
・恋愛が正面から描かれることはなく、男性キャラクターが登場しても恋愛関係にまでは至らない<br />
・少女間の淡い同性愛的関係性(いわゆる「百合」)が描かれる<br />
・コメディー的である<br />
・4コマ漫画が原作でアニメ化された<br />
<br />
セカイ系と対照的とされることもありますが、重なる要素も少なくありません。<br />
実際、日常系とセカイ系の中間的な作品、あるいは両方の特徴を持った作品があることは既によく指摘されていますし、ドラマティックな展開を持ちながら同時に日常系的でもある作品も少なからず作られています。<br />
<br />
◆萌え四コマ漫画と日常系<br />
<br />
日常系作品の持つ特徴は、4コマ漫画に多く由来していると思われます。<br />
とりわけ、あずまきよひこの「あずまんが大王」(1999-2002)と、その影響を受けた萌え四コマ漫画によって日常系作品は広がっていきました。<br />
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「日常のちょっとしたやり取りを描く」「ドラマティックな物語の展開はない」「登場人物の内面や関係性はあまり変化したり成長したりしない」「コメディーである」といった日常系の要素は、古典的な四コマ漫画にありがちな特徴でした。例えば「サザエさん」などの新聞漫画を思い出してもらえばよいかと思います。それが萌え四コマにも引き継がれた、あるいは萌えと組み合わせられることで再発見されたと言えないでしょうか。<br />
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もともと四コマ漫画は、ドラマティックな物語や時間とともに成長する登場人物を持たず、他方で「起承転結」の型を持つものでした。<br />
そうした古典的な四コマ漫画が描かれ続ける一方で、新しい試みもなされるようになります。例えば、四コマ単位のエピソードを連ねながら物語を語っていくストーリー四コマ、あるいは起承転結の型を持たない四コマ漫画などです。<br />
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伊藤剛は『テヅカ・イズ・デッド』で、いがらしみきおの「ぼのぼの」(1986-)を取り上げて、キャラが物語から遊離する「キャラの自律化」をそこに認めて、日本のマンガの一つの画期と評価しています(第2章)。<br />
「ぼのぼの」には、連載開始時から起承転結もなければ、ドラマもない。<br />
四コマの連なりによるゆるやかに連続したエピソードは、はじめ人生訓的な寓話を語っていたのですが、やがてそれもなくなり、キャラたちが戯れているさまの叙述が繰り返されるようになります。<br />
伊藤剛は「はっきり無時間的な空間」とそれを表現し、「『物語』のもたらす快楽から、キャラたちの戯れるさまを眺め、寄り添うことの快楽へのシフト」と述べています。<br />
ここに、萌え四コマや日常系の作品へと続く傾向を読み取ることができます。<br />
「ぼのぼの」には所謂「萌えキャラ」こそ登場しませんが、動物キャラクターの可愛さというのは萌えキャラに通じるものがあります。<br />
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「あずまんが大王」には、四コマ漫画に萌えキャラが投入されている点で目を惹きますが、それ以外にも着目すべきところがあります。<br />
「あずまんが大王」では、作品の中で連載の経過と歩調を合わせて時間が経過していき、3年で登場人物たちは高校を卒業して、作品は完結しました。<br />
つまり「ぼのぼの」の「無時間的な空間」とは異なる時間が「あずまんが大王」には流れているのです。もちろん起承転結型の四コマ漫画の無時間性とは違いますし、葛藤の解消と成長式のドラマ的時間とも異なります。<br />
特別な物語などなくとも時間は流れていき、モラトリアム的な、何も劇的なもののない日常にも必然的にある種の終わりが訪れる、というある意味でとてもリアルな時間です。<br />
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これらの作品の影響は「萌え四コマ」という言葉で捉えられましたが、四コマ漫画への萌えキャラの投入という側面が強く意識される一方で、四コマ漫画の表現を拡張する過去の作品の積み重ねの上に現れたという側面はあまり意識されなかったかもしれません。<br />
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さらに、萌え四コマ作品がアニメ化されて好評を博し、「日常系」「空気系」といった言葉が生まれました。そして「日常系」の作品は、アニメ、ライトノベル、非四コマ漫画(自由コマ割漫画？)などにも広がりました。<br />
「日常系」の作品には、「ぼのぼの」のように無時間的な空間を持つものもあれば、「あずまんが大王」のような時間の流れを持つものもあります。<br />
日常系の要素を持ちながらも、劇的なストーリーと劇的な時間を持つものもあります。このような日常系の境界の曖昧さについては、先に述べたとおりです。<br />
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    <dc:subject>漫画批評</dc:subject>
    <dc:date>2016-10-31T21:22:50+09:00</dc:date>
    <dc:creator>OtterSF</dc:creator>
    <dc:publisher>NINJA BLOG</dc:publisher>
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